お墓じまいの実例・体験談。ある女性の物語
何年も前の話。
近藤さん(仮名)は、かなりのご高齢だったが元気な方だった。
確か70才を超えていた。
一人娘だったので、嫁いだ家のお墓と、ご自身の実家のお墓参りをずっとしていた。
ご主人も優しい人で、両家のお墓を同じように大事にしてくれ、お墓参りも掃除もいっしょにしてくれていたそうだ。
ところが、ご主人が病気で倒れるとそのまま介護が必要な状態に。
しばらくは、自分の実家のお墓のお参りや掃除には行けなかったそうだ。
しばらくして、ご主人が亡くなられて、四十九日の法要で遺骨をお墓に納め、少し落ち着かれたあとに近藤さんは私の会社にやってきた。
「お墓じまいをしたいんです」
普段は営業で外回りをしているのだが、その日私は事務作業がたまっており会社にいた。
せっかく来ていただいたので、詳しく話を聞いてみる。
「子どもたちも独立し遠方にいる。今までは両家のお墓をみてきたが、私も先は長くない。子どもらが両方のお墓をみるのは大変だから自分の実家のお墓を解体しようと思っている」
ということだった。
珍しい話ではない。
私も年に何度も墓じまいの仕事をさせて頂いている。
親が子のことを考え、墓じまいするケースは年々増えてきている気がする。
後日、近藤さんといっしょに、近藤さんの実家のお墓がある菩提寺に向かった。
見せてもらったお墓は小さいながらも趣向を凝らしてあり、長い年月が経っていたものの掃除を丁寧にされていたのがわかるお墓だった。
近藤さんは教えてくれた。
お父さんは、戦争で亡くなったそうだ。
お母さんと親戚がお金を出しあって建てたお墓で、小さい頃から何かがあるときは、ここに報告にきていたと言っていた。
「そんな大事なお墓を解体して大丈夫ですか?」
私は聞いた。
「私がやらないと子どもたちがやらなくてはいけないから」
近藤さんは答えた。
お墓を解体するのには、さまざまなことをしていかなくてはならない。
住職との話し合いや、自治体への申請。
私たち業者(石材店)との工事の打ち合わせなど。
近藤さんの菩提寺の住職は、近藤さんの状況をご存じだったので、すんなりと話が進んだ。
近藤さんのお父さんとお母さんの骨壺がお墓に入っているとのこと。
といっても、お父さんの骨壺には遺骨は入っていないらしい。
戦争で亡くなったが、戦地から遺骨が送られてくることはなかったそうだ。
私も何度か見たことがある。
そういった場合は、骨壺の中に戦友が戦地から持って帰ってくれた土が入れてあることがある。
また日が変わって、ご出骨の当日。
私は驚いた。
近藤さんの息子さん、娘さん、それぞれの配偶者。孫5人。
合計で10人もの人数が魂抜きと出骨の法要(読経)に集まっていた。
今時そんなこともあるのか。
当事者のお客様と、私と住職だけの読経ということもあるご時世なのに、遠方から全員が集まった。
いかに、近藤さんがこういったことを大事にされていたのか、また、子どもさんたちがそれを受け継いでいたことがわかった。
住職の読経も普段より長かった気がする。
読経が終わり、当社の職人さんがお墓のフタを開け、地価の納骨室に潜り、骨壺を地上に上げた。
私はしっかりと骨壺を受け取った。
近藤さんのお父さんの骨壺と、お母さんの骨壺。
お父さんの骨壺のフタを開けてみると、予想した通りだった。
骨壺の中には土が入っていた。
「あれっ」
思わず口にする。
何か金属のようなものが入っていた。
軍の関係のバッチのようにも見える。
原型をとどめておらず、錆びていて何なのかはわからない。
戦地から持ち帰られたものなのか、戦地に行く前に妻に渡した形見のようなものなのか。
私が土をはらって、近藤さんに見せると、その目から涙がこぼれた。
近藤さんにもいったい何なのかはわからないらしかったが、記憶にはない父親の歴史が少しでもわかったことが嬉しいと言っていた。
その金属は、近藤さんの息子さんが大事に預かってくれることになった。
お母さんの遺骨はお寺で永代供養されることになった。
その数日後、お墓じまいの工事は無事終わった。
ある日、いつも通り仕事をして会社に戻ると、近藤さんから手紙が送られてきていた。
いつも通りに仕事をしただけだったが、とても感謝されていたようだった。
私は思った。
近藤さんが元気なうちにお墓じまいができてよかったんじゃないかと。
「お墓じまい」は先祖に申し訳ないという人がいるけれども、近藤さんは子どもや孫に先祖の大切さを伝えていた気がする。
お墓は、わかりやすい形だけれども、それがなくても先祖を想う気持ちは伝えることができる。
近藤さんとは、あの日以来お会いしていないけれど、大切なことを教えてもらった気がする。
お墓じまいに関連する記事
そのほか、私が書いているお墓じまいに関する記事です。
よろしければお読みください。