終活カウンセラーのMr.Kuyouです。
前回は、「エンディング産業展2018に行ってきました!! 」と題して、終活・エンディング産業の展示会についてのレポートを書きましたが、あまりの眠さに途中で力尽きてしまいました。
ということで、今回は前回書ききれなかったことを中心に書いていこうと思います。
エンディング産業展2018に行って感じたこと
おひとり様を意識した展示内容
胸が痛い…
— ねとらぼ (@itm_nlab) 2018年8月22日
誰にとってもひとごとではない「孤独死」「ごみ屋敷」 壮絶なミニチュアで知る“実情” #エンディング産業展https://t.co/ZKDXBLMVzT pic.twitter.com/6u2aOp1lch
Twitter上で「孤独死」・「ごみ屋敷」が話題になっていましたね。
「おひとり様」や「ボツイチ」といった言葉もでてきて、不安に思う人もいるかもしれません。
政府としては、病院のキャパシティーオーバーで自宅や介護施設での看取りを進めていく方向のようです。
自宅で最期を迎えることになるのか?
心配かとは思いますが、夫婦でいてもどちらかが亡くなれば一人。
誰もが孤独死の可能性はあるのです。
私が知り合いから聞いた話では、人に機器を繋ぐことなく、センサーで部屋の中の人間の脈拍がわかる技術があるそうです。
そういった技術が広がれば、死後、発見されることが遅れるといったこともなくなるはずです。
亡くなる前の脈拍には特徴があり、データも蓄積されてきているとのこと。
ご臨終の直前に医師が駆けつけてくれるようになるかもしれません。
また、供養される場所についても、合祀墓や樹木葬は今後も増えていくでしょう。
人は一人では生きていけず、一人では死んでいけませんが、家族がいることが前提ではない供養の形が広がってきています。
自治体管理の霊園や民間霊園では、生前に一括支払いで年間管理料不要の埋葬方法が毎年増加しています。
個性やオーダーメイドの終活
エンディング産業展に行って来ました。死者儀礼に対する重きが「宗教的な正しさ(=既存の形式や作法がちゃんと遂行されているか)」から「オーダーメイドの満足度(各人の理想、もしくは生者の想定する〈死者〉の理想に応えられているか)」にシフトしているように思われた。
— Haruka OMICHI (@micomico_big) 2018年8月22日
「個性」の主張を強く感じた。
このツイートをされている方はすごいですね。
140文字以内でビシッと伝わってきます。
私が感じていたけれど言葉にできていなかったことを言葉にしてくれていました。
エンディングドレスや、デザイン性のある骨壺などは、供養に「個性」を出してくれるものになっています。
特に生前に自分の供養の準備をすることに関しては、一般的な買い物に近づいてきている印象も受けます。
葬式や供養が、形式を重視するものから個性を表現するものにも。
急な変化があるとは思えませんが、徐々に価値観は多様化してきています。
ペットは家族と同じ。ペットの終活
とにかく、目立つのはペット関係。
— 松本正弘 (@mikkabozu7676) 2018年8月22日
子供が成人すると家を出る、という仕組みの中に生きていると、その後の空白を埋めてくれるのはペットで、ペットは子育て終了後の子供(の代わり)という意味合いにもなってくるということだろうか。
#エンディング産業展 pic.twitter.com/crMwd7TMul
ペットに関して多くの出展を確認しました。
確かに、ペット供養に関しては興味を持っている人が多いようです。
当ブログでも、ペットに関する記事はよく読まれています。
ペットの供養に人間以上のお金をかけることも珍しくなくなっています。
今後も、ペットの供養・終活の情報は発信していくつもりです。
「お墓のみとり」でお墓じまい
終活というと、「お墓じまい」が話題になることが増えています。
子孫が続くかわからない。
いても遠方や海外に行くかもしれない。
先祖の遺骨を永代供養して「お墓じまい」するといった具合です。
しかし、それを寂しいと思う人もいます。
「可能であれば、しばらくは先祖代々の墓に入っていたい」
その気持ちに応えるサービスが生まれていました。
それが「お墓のみとり」です。
「お墓のみとり」の契約と同時に公正証書による死後事務委任契約をするもので、自分の死後、一定期間をもって「お墓じまい」が可能になりました。
使い方次第では、永代供養をしてくれる先を探しておくことで、子孫がいない人でも自分のお墓を建てることができます。
最期のことを自分で考えなくてはいけない息苦しさ
今回のエンディング産業展で一番感じたことは、自分の死後のことを考えなくてはならない時代に変わってきているということです。
今までは、自分が死んだときのことなんて考えなくてよかったはずです。
家族がなんとかしてくれるのが一般的でした。
それが、いつの間にか「終活」という言葉が一般的になってきて、生前に自分で準備をしておくことが大事かのような風潮になってきています。
今回のエンディング産業展は、本当に多くのニュース番組で取り上げられていました。
選択肢が毎年増えてきています。
選択肢が増えると何かを選ばなくてはなりません。
昔のように「これが当たり前」・「これが普通」というものが決まっていれば、それに従えばよかったのですが、ここまで種類が増えてくると残される人も大変です。
金額も方法も幅がありすぎます。
ライフイベントとしては、結婚や出産などがありますが、それとは違ってウキウキワクワクというものでもありません。
「できれば考えたくないけれど、考えておかなくてはならない」
そんな息苦しさを感じました。
現在、定額費用の葬儀の人気があるのも、そういった事情もあるのかもしれません。
▼定額葬儀の「小さなお葬式」を解説した記事
人が亡くなるというだけでも大変でいろんなことを考えなくてはならないのに、それに加えて個性だ表現だとなると大変すぎやしないだろうか?
そんな疑問がでてきてしまいました。
日頃は「終活」のことをわかりやすく、できれば明るく伝えたいと思っているのですが、最近の仕事量の多さからなのか、それともエンディング産業展の情報量に頭がやられてしまったのか、書いている途中から路線が変わってしまっていました。
「エンディング産業」や「終活」が盛り上がるのは業界にとってもいいことですし、ブログを読みに来てくれる人も増えるわけですからいいことなはずなんですけれど。。。
申し訳ございません。
次回以降はまた、通常通りの記事を書きます。
皆様も夏の疲れにお気を付けください。
それでは。
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